アフマージの世界

私の目の前で1人の少女が逝った。
少女に最後の言葉は無かった。
私のこの気持ちは誰に届けるべきなのだろうか。世界とは何であろうか。
生きることとは何であろうか。

世界は惑星意識とやらに侵略されていると政府は言った。
それが真実であるかどうかはどうでもいい。
現にその惑星意識との戦争から逃げる過程で、少女は怪我を負った。

少女には愛する弟がいた。
だが弟は幼い身体でありながら惑星意識と戦うと言って民兵志願をした。
少女は当然反対したが、弟は断固として意見を変えなかった。

民兵組織はまず軍事訓練が必要だとして、2年間は戦場に出さないことを約束した。
少女は、少なくとも2年間は弟の命が大丈夫であろうと安堵した。

だが不幸なことに半年過ぎた頃に、惑星意識による兵站破壊が行われ、前線に多数の死傷者が発生した。
弟はまだ1年半も教育訓練期間があるにもかかわらず、1人前の兵士として昇進したと手紙で連絡が来た。

少女は民兵組織に抗議したが、本人が自発的に志願した為、組織側で拒否出来なかったと回答した。
弟に合わせてくれと懇願したが、任務中につき会えないと言われた。

それから1年経ったが、未だに連絡がとれない。
弟がどこへ行ったかは分からない、死んでいるのか生きているのかも分からない。
少女は悲しみ、怒り、困惑し、嘆いた。

惑星意識の戦線が少女の家に近づいた時、偶然にも私は出会った。
第502中隊戦場記録係として軍属派遣されていたカメラマンの私は、前線の状況を撮影する任務を帯びていた。
戦場では兵士達にスープを振る舞う少女が目についた。
1日4回、朝、昼、晩、深夜と少女を見かけた。

少女のスープは少し塩辛い物だったが、兵士達には好評だった。
兵士には塩分が足りないのだろう。

毎日毎日飽くことなく少女は献身的にスープを提供し続けた。
何と人類に貢献的なのだろうと私は感動していたが、
弟を探していることを後日知ってからは何か手助け出来ないかと考え始めた。

少女に勇気を出して声をかけてみた。
私はカメラマンだ。写真を日常的に撮影するのが仕事だと。
機密情報もあるので全部は無理だが、兵士達の写真を見てもらい、弟が居ないか調べられないか、と。

少女の目が少しだけ輝いたのを覚えている。
そして塩辛いスープを奢られた。残念ながらちょっと私には苦手な味だ。

それから三ヶ月以上、ほぼ毎日少女と出会った。
私が撮影し、写真を見せ、少女は毎日落胆した。

ある日、少女は言った。
「たまには他の人の話も聞きたい」

少女は弟のことを考えるあまり、そればかり考えて辛かったのだろうか。
私に戦場の思い出を話してくれと言ってきた。

そこで私は、どんな状況でも自己紹介を忘れない男の話をした。
その男は、惑星意識に包囲され絶体絶命な状況にあったらしい。
自暴自棄になった男は、大声で自己紹介をしながら銃撃した。
母親について、父親について、生まれについて、友達について、恋人について、趣味について。
銃撃と言う暴力と、愛を持って語りかけるような言葉の入り混じりを。

なぜそうなったのかは男も覚えていない。
気がついたら包囲が解けており、人類の救援部隊に救出された。

それ以来男は、必ず自己紹介をする。
敵にも味方にも、以前自己紹介した相手にもだ。

でも自己紹介が万能ではないことを本人自身が証明した。
男は惑星意識に攻撃され、死んだ。
回収された遺体からは、全身のあちこちに仕込んでいた自己紹介の手紙が発見された。
男は自己紹介を通じて戦い、自己紹介をして逝った。

少女は男の話を聞いて、少しだけ悲しい表情をして、少しだけ笑った。
「やることが見つかって、その人は幸せだったのかもしれませんね」

人は自分が何をやるべきか、何をやらないべきか、常に問われているし、
ましてや誰かが教えてくれるわけでもない。
だが奇妙なことに、敵である惑星意識がいたからこそ、その男はやるべきことを見つけた。

私が写真を撮る使命感も、惑星意識との戦いの中から産まれた。
軍の士官達には絶対言わないが、だが正直なところ私は惑星意識によって人類は使命感に目覚めているのでは、とすら思っている。

いたずらをして、物を破壊したり盗んだり、何かを傷つけていた悪ガキが、
母親にパチンと頬を叩かれて、ようやく気付いたのだ。
自分が何をしていたのか、何をすべきか、何をしてはいけないのか。

ある日、軍の補給所で会う予定だったが、少女は来なかった。
他の誰に聞いても見ていないと言う。

民衆の雰囲気も記録したいと言いつつ、前線から離れ、街で少女を訪ねて回った。
家が分かり尋ねると、非常に暗い顔で少女は出迎えてくれた。
毎日重いスープを運んでいるので腰を痛めてしまったと。しばらくスープを運べないと。

気にするなと言い、医者を呼んでくると声をかけて私はその場を離れた。

その翌日、運が悪いことに惑星意識の総攻撃があった。
前線は何とか耐えていたが、惑星意識の砲撃が街の方まで飛んでいくのが見えた。

私は不合理にも巨大な不快感を覚え、軍の補給トラックに乗せてもらい街へ向かった。
幸い少女の家は崩れてはいなかったが、近隣では爆発痕があった。
少女の家は、壁のあちこちに穴が空き、大量の破片がぶつかった形跡がある。

慌てて家を尋ねると、少女は頭から少量の出血をしてうずくまっていた。
破片が頭部にぶつかったらしい。

私は彼女を抱えて病院へ向かったが、病院は前線からの流れ弾がひどいためスタッフと患者をより遠い場所へ避難する準備だと言う。
全く人手が足りず、包帯を巻く暇も無いと言われ、消毒液と包帯を看護師から渡され、とりあえず私が応急処置をすることになった。

軍の訓練で応急訓練は学んだが、いざ目の前にすると本当にこれで良いのか不安になってくる。
強心剤などを少女に打っても良いのだろうか?身体に負担が大きすぎるだろう。

私は病院の避難車両に少女を抱えて乗せてもらった。

半日かけて到着した街はより人が少ない街だった。
軍の補給拠点でもなかったし、交通は軍が優先されるためにわずかな住民しか街にはいなかった。
役所を緊急医療施設に改造し、患者の治療が始まった。

少女も治療してもらったが、頭部の擦過傷だけでなく咽頭部に小さくだが鉄の破片が突き刺さっていることが判明した。
医者からは気が付かなかったのか?とばかりに口では言わなかったが目を向けられた。
非難するような目ではなかったが、それでも医者の悲しい目つきが忘れられない。

あまりの頭部の出血にそちらにばかり目が行っていた私は猛省した。
猛省した、が、私にはどうにもならない。
ただただ医者と神にすがるしかない。

医者。
神。

短い時間ではあったが、写真の思い出を共有した少女との記憶は私にとって重要な物だ。
それが最終的には医者と神にすがらなければならないなんて、なんて私は無力なのだろうか。
写真にそこまでの力は無いのだろうか。
私のやってきたことに、力なんて無いのだろうか。

治療が始まって三日後、少女は目が覚めた。
私は少女の目が覚めた時、その場では寝ていたので気が付かなかったが、
声が出せなくなっていることに少女は気付いて、そして落胆した。

なぜ惑星意識とやらはこんなことをするのだろう。
人は言う、惑星意識はそもそも人を見ていない。そう言う物ではないと。
もちろん、惑星にとっては人類など小さな出来事で、人間で言う皮膚表面の細菌程度の物なのかもしれない。

だが、明白な攻撃的意図を持ってそれらを駆除しようと戦っているあれらは何だろう。
人は言う、惑星の無意識の防御機構だと。

そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
惑星意識とは、そもそも人類の考えで推し量る物ではないとする意見もある。
だがもはや事態がここまで進展した今では、意見なんかは、どうでもいいと思っている。
人の考えなんか、どうでもいい。

私は、あの少女が弟と出会うところが見たい。
それは惑星意識の所業を超える人類の希望や夢だと思うからだ。

私が少女を救っていたのではない。
私が少女に救われていたのだ。

サイクル4と言う部隊が予備隊として前線に控えて居たが、急遽持ち場を離れて戦線右翼側へ移動した。
右翼側の崩壊しかかっている戦線を支える為に行くのだと言う。

サイクル4が移動した二日後、突然惑星意識の攻勢が激しくなった。
まるでこちらの戦力移動を察知しているかのような激しさだった。
前線の司令部まで砲火に晒され、後退することになった。

少女は軍の後退列とは別に後退することになった。
軍の列は惑星意識の攻撃に晒される危険性が高いとの判断だ。
だがその判断は真逆の結果を及ぼした。

そう、惑星意識の考えることは人間側の考えとは全く違うところに存在するのだ。
そのような配慮は何もかも無意味なのだ。
合理性とは人間の間でのみ成り立つ方程式だ。

私は惑星意識の砲火に晒された直後の民間後退列に派遣された。
まだ救助も始まったばかりで、どこも悲鳴とうめき声で満たされていた。

不思議と私は誘われるように白い救急車の車列に向かう。
前方から三両目の大きな横穴の開いた車両に少女は居た。
全身、あらゆるところに大小様々な破片が突き刺さり、なぜこんな酷いことをするのと訴えかけるように涙を流していた。
私は返す言葉は無かったが、せめてもの想いで手を取った。

私の目の前で1人の少女が逝った。
少女に最後の言葉は無かった。
私のこの気持ちは誰に届けるべきなのだろうか。世界とは何であろうか。
生きることとは何であろうか。

二ヶ月後、弟の所在が判明した。
正確には、死亡していたことが判明した。

前線任務に着任して二日目、防衛用地雷原敷設作業中、
不慣れな作業の人為事故で死亡していた。

私は、
答えを求めてなどいない

私は、
幸せとは何だろうかを考えた

考えられる、と言うことは幸せかもしれない
この答えのない世界で
考え、記憶し、想いを伝えられると言うことは

<– 惑星意識戦争 戦時記録ファイル エレバン防衛作戦、戦意高揚士気報道統制担当官手記より –>